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多文化社会と「痛みの文化」

 私は、数年前まで地方都市にある看護学部で英語を教えていました。看護学生にとってどのような英語教育が必要なのか考える中で、ことばの前提になるようなプログラムの提供に行きつきました。異文化を背景に持つ人々が、ことばの通じない医療現場でどのように感じているか知る授業です。

 

 そのような授業の中で心に残っているものの一つは、当事者授業として年に1回、4年間にわたり実施したものです。入院経験がある3か国から4か国の出身者にゲストとして授業に参加してもらい、入院経験から感じた日本の医療について英語もしくは日本語で話していただくものでした。日本での医療経験談といったところです。話の内容は、医療制度、医師と患者の関係、診察にかける時間、医療職の対応等々で、当然のこととして、母国の医療と日本のそれの相違点に焦点が置かれました。日本の医療を称賛する話もありましたが、時に理解してもらえなかった思いや願いも聞かれました。

 

 1学年2クラス合同授業だったので、米国に2年間ほど留学経験のある、私ともう一人の先生とで、英語話者のゲストの通訳をしました。病院ではなく教室という環境でしたが、患者さんの病と治療の経験談を医療職(看護学生)に伝えるという点では医療通訳に近いものでした。その中で気付いたのは、「医療文化」「痛みの文化」の違いと、医療通訳における文化の橋渡しの難しさです。そして、日本語で思いを十分伝えることのできない彼らは、英語が使えたとしても、患者として安心して入院生活を送ることができなかったのではないかということでした。

 

 中でも、痛みに関しては涙を誘うような辛い経験談が聞かれました。出産後の後陣痛だったと思いますが、いくら痛みを訴えても看護師にも、医師にも信じてもらえず、痛み止めをもらえなかったという涙ながらの話でした。あくまでもゲストの経験として聞いただけです。医療職者としては、実際には、痛み止めを処方できない理由があったかもしれません。ただ、ゲストは理由もわからず、いくら訴えても自分の痛みを信じてもらえず、出産という喜びあふれる時に、辛い思いをして病院生活を送ったことを思うと、こちらまで涙がこぼれてきそうな話でした。

 

 現在でさえ、地方の多くの病院では、日本語が話せない場合、知人、友人を連れてくるように言われます。場合によっては、受診を断られることもあるようです。手術前のICや治療に関する難しい説明が必要な場合だったら話は別だったでしょうが、当時は医療通訳自体、認知度も極めて低い時代でした。ましてや、20年も前のことで、性能のよい翻訳機器もAIもなかった時代ですから、日本語が十分話せない人の受診・入院への対応が不十分であったのは、尚更のことです。

 

 話しを痛みに戻しますが、痛みに関しては、欧米出身の他のゲストも言及していて、「痛みは取り除くもの」で「耐えるもの」ではないと言います。「日本人」は、とりわけ高齢者ほど、痛みを我慢する傾向があるのではないでしょうか。「男の子でしょう。我慢しなさい。」ということばは私の世代ではよく聞かれたものですし、「陣痛に耐えてこそ母親になれる」と言われた時代もありました。日本の文化自体、「我慢は美徳」といった傾向があります。

 

 ものの見方が生育環境によって形成されていくように、痛みの感じ方にも、そういう部分があるのではないか。痛みの閾値が、育った環境・文化により異なる傾向、「痛みの文化」があるのではないかと考え、専門外ですが調べてみました。案の定、ありました!池田光穂氏のサイト「痛みの人類学」です。当時調べたサイトとは異なるかもしれませんが、以下が当該サイトのURLです。最近になって『医学界新聞』に投稿された杉浦健之氏の寄稿文も、見つけましたので、ご関心のある方は、併せてご覧ください。

https://navymule9.sakura.ne.jp/anthropology_of_pain.html

https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2021/3433_03#ref

  痛みの認知さえも、生育環境あるいは育った文化によって創られる部分、多文化な部分があることを知った授業でしたが、この英語の当事者授業に対して、教員によっては「外国人のクレームに過ぎないでしょう。」と一蹴する方もいました。ものの見方、感じ方は様々です。医療通訳をするときにも、「日本人」であろうが「外国人」であろうが、自分にとって当たり前は、他の人にとっては当たり前ではなく、逆も真であることを念頭に置きたい。異なるものを排除するのでなく、なぜ異なるのか、まずは対話をとおしてその背景を考えたいですね。自戒を込めて!

 

 国もようやく重い腰を上げ、多文化社会・多文化共生にむけた取り組みをはじめている現在です。多文化化が一層進展する日本社会ですが、健全な多文化社会に成長することを願っています。                                                   (HK)